「世界は広かった」——。正社員を卒業しめぐり合った、パラレルキャリアという新たな選択肢
パラレルワーカー 株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド 非常勤取締役/オイシックス・ラ・大地株式会社 ブランドディレクター・People’s Adviser/株式会社サマンサグローバルブランディング&リサーチインスティチュート 非常勤取締役/株式会社GOODNEWS 非常勤取締役
新卒で芸能プロダクションのアミューズに入社。2002年にサマンサタバサジャパンリミテッドに転職。広報部(現プレスマーケティング部)の立ち上げを経験し、ブランディングやマーケティングを統括する。2008年に執行役員、2012年に上席執行役員に就任。プライベートでは2007年に長男、2011年に長女を出産。2019年に正社員を卒業し、新しい働き方へと転向。パラレルキャリアを実現している。
働き方は日々多様化し続けており、望むキャリアや生き方によって、自分に合った働き方を選び取れるようになってきました。その一つとして、近年注目を浴びるのが、パラレルワークという働き方です。パラレルワークは2種類以上の仕事を同時に手がけることであり、「本業を複数持つ」というイメージの働き方を指します。
今回お話しをお伺いする世永亜実さんは、パラレルワークを実践する一人。株式会社サマンサタバサジャパンリミテッドの非常勤取締役や、オイシックス・ラ・大地株式会社のブランドディレクターをはじめ、現在4社で活躍されています。
パラレルワーカーに転向される以前は、正社員としてサマンサタバサジャパンリミテッドに17年間勤務。広報部(現プレスマーケティング部)の立ち上げを経験し、ブランディングやマーケティングを統括してきました。また28歳で部長、30歳で執行役員、33歳で上席執行役員に就任。プライベートでは一男一女の母親でもあります。
キャリアの階段を駆け上がり続け、名実ともに成果を上げてきた世永さんですが、2019年に正社員卒業という決断をします。なぜ、順風満帆に見えるキャリアを転向し、パラレルキャリアを歩み始めたのでしょうか。
転向の経緯やパラレルワークの魅力、働くうえで大切にされていることなどを伺いました。
きっかけは、子どもと過ごす時間をつくるため
――サマンサタバサジャパンリミテッド(以下、サマンサタバサ)は、世永さんが正社員として在籍されていた17年の間に急成長を遂げ、世永さん自身もさまざまな経験をされてきたと思います。当時はどのような仕事観を持って業務に向き合っていたのでしょうか。
仕事観と言われると難しいですが、「こうなりたい」や「こういう役職に就きたい」といった野望を持ったことはなくて、とにかく目の前にある仕事で満点以上の成果を上げたいと考えていました。「なりたい自分像」はなかったものの、今改めて振り返ってみても「どうしてあれほど頑張れたのだろう」と不思議に思うくらい、一つひとつの仕事に対して本当に全力で取り組んでいたという自負はあります。青春にも似たような充実した日々でした。
――日々全力で取り組み続けた先に、執行役員というポジションが待っていたのですね。
執行役員の打診を受けたのは、第一子の育休明けのとき。想像もしていませんでしたし、約2000人が務める企業の数少ない女性役員の一人になるなんてプレッシャーが大きすぎると、最初はお断りしたんです。しかし当時の社長から「無理はしないで良いけど、とりあえずやってみてほしい」「駄目ならまた話そう」と言われ、「それならば…」と戸惑いながらも引き受けることになりました。
――最初はお断りされたのですね。女性管理職の少なさは、日本企業が抱える課題の一つです。
サマンサタバサで女性スタッフのマネジメントをしてきた経験上、女性は自己評価の厳しい方が多いように思います。そのため、募集したところで「私には務まらない」「子育てしながらでは無理」と考えてしまい、手を挙げにくいのでしょう。
全員が頂上を目指す必要はありません。しかし私がそうしていただいたように、特性を見抜き「やってみなよ」と少し周りが引っ張ってあげることで、ハードルを飛び越えられることもあると思うんです。制度の整備はもちろんですが、チャレンジして良いのだと後押ししてあげることも大切ではないでしょうか。
そういう意味では、私は本当に恵まれていたと感じていて。導かれるように少しずつ小さなハードルを設定して、飛び越えて…を繰り返しているうちに、気づいたら本当に素晴らしい経験をさせてもらっていました。
――順調にキャリアの階段を上がっていくなか、なぜパラレルワーカーに転向することになったのでしょうか。経緯をお聞かせください。
発端は子どもと夏休みを一緒に過ごしたいと考えたことでした。働きながら子育てをしていたので、夏休みを子どもとゆっくり過ごせた経験がありません。当時、長男は小学6年生。中学生になったら、きっと今以上に親と過ごす時間が減ってしまうと思い、家族との時間を優先するために退職しようと考えました。
――「働き方を見直す」ではなく、退職を選ぼうとされたのですね。
はい、一度子育てに専念したいと考えていました。
自分ではそう決意していたのですが、家族全員から反対されてしまって。想像以上に、仕事をしている私を自慢に思ってくれていたようで、夫にも子どもたちにも「続けなよ」「今のままで良い」「辞めないで」と口々に言われ、誰にも退職を歓迎されませんでした(笑)。
――仕事をする世永さんを応援されていたのですね。
反対されたものの、家族との時間を優先したいという考えは変わらなかったので悩んでしまって。それをサマンサタバサの役員陣に正直に話したら「非常勤でも良いから残ってほしい。創業当時を知るメンバーとして、これからもサマンサタバサに関わってほしい」と言ってもらいました。サマンサタバサは私にとっても大切な場所だったので、その申し出はとても嬉しかったです。
オイシックス・ラ・大地(以下、オイシックス)からご縁をいただいたのも同じ頃。子育てに専念しようとしていたくらいですから、最初は戸惑いましたし、2社で同時に働くというワークスタイルも想像しきれていませんでした。しかしサマンサタバサとオイシックス、両社の社長から「どちらもやってみたら良いよ」と背中を押されて、パラレルワーカーに転向することに決めました。
――アパレル業界が長い世永さんにとって、食の領域は新たな挑戦です。
元々家事や料理が大好きだったので、オイシックスというフィールドでなら、主婦としての自分も仕事に活かせるのではないか考えていました。また、培ってきた経験を社会に役立てたいと思い始めた頃だったので、オイシックスの企業理念である「ビジネスの力で社会課題を解決する」に共感したのも、挑戦しようと思えた理由の一つですね。
価値発揮は、企業文化の理解からはじまる
――現在勤めている4社では、それぞれどのような仕事をされているのでしょうか。
サマンサタバサでは、非常勤取締役としてさまざまな部分で今までの経験に基づいて、気になった点などのアドバイザリーを行っています。オイシックスではアライアンス領域や新たなマーケティング施策の企画、ブランディングなどに対するアドバイザリー業務を行っています。
GOODNEWSではPRチームの立ち上げと育成を中心に、顧客管理やEC・アプリの開発にも参加しています。サマンサグローバルブランディング&リサーチインスティチュートはGOODNEWSが展開する「バターのいとこ」などを扱っていることもあり、仕事内容としては共通していますね。
――求められる役割に変化はありましたか。
正社員時代は自分がプロジェクトの中心にいることが多かったので「自分たちの手で成功させるんだ」と思っていましたし、成果が出たときも当事者としての喜びを感じていました。
パラレルワーカーになってからはプロジェクトを率いる方が別にいて、その方にアドバイスをしたり壁打ち相手になったりという役割を求められています。違いに慣れるまでに少し時間はかかりましたが「関わっているプロジェクトが成功してほしい」「スタッフに成功体験を積んでほしい」という志向性に徐々に変わってきていて、その面白さにも気づき始めました。
――2社以上で働くなか、戸惑いや新鮮さを感じることはありましたか。
すべてが新鮮でした。特にサマンサタバサとオイシックスは、物事の考え方から進め方まで本当に違っていたので驚きましたね。
一言でいえば、サマンサタバサは直感型でオイシックスは論理型。私自身、論理的思考はあまり得意でなく、直感を大切に働いてきました。そのため最初はなかなか馴染めずに戸惑ってしまって。
――直感型と論理型ではギャップが大きいですね。慣れるのに苦労しそうです。
しばらくの間は論理的思考にならなければと焦っていましたが、ふと「直感型と論理型、両方を使い分けられるのが一番良いのでは」と気づきました。たとえば情緒的価値を提供する際は直感型のアプローチを、機能的価値を提供する際は論理型のアプローチを。これまで私がやってきた直感的思考をベースとしながらも、オイシックスで学んだ論理的思考も調和させたいと考えています。
サマンサタバサとオイシックスのスタッフにも浸透させていきたいので、サマンサタバサのスタッフには「みんなにも伝わりやすいよう数値化してみよう」と声をかけたり、オイシックスのスタッフには「言葉に表現できないワクワクをお客さまに届けるにはどうすれば良いか」と課題を出したり。直感型と論理型の両方を活かせる、より強い組織になってもらえたらと考えています。
――パラレルワーカーとして働くうえで、大切にされていることはありますか。
直感型と論理型の例を出しましたが、それぞれの企業には仕事の進め方や思考性に特長があります。いわゆる企業文化と呼ばれるものだと思いますが、パラレルワーカーとして新しい環境に飛び込む際には、まず相手が持つ文化を理解し、相手の言語で話せるようになることが大切だと考えています。
パラレルワーカーとしてアドバイザーや壁打ち相手という役割を求められてきましたが、もし私が相手企業の文化を理解しないままでいたとしたら、そのような私の提案に耳を貸したいとは思えないですよね。同じ言語で話せるようになって初めて、私の声が相手に届き、価値発揮できるのだと思います。
私自身、最初はそれが分かっておらず、不便をかけてしまったこともありました。今では最低限のマナーとして、企業文化を理解するよう努めています。
――パラレルワーカーして働く魅力をどう感じていますか。
複数の会社で経験やスキルを発揮できることは、大きな魅力の一つだと思います。貢献できる場所が複数あり「来てくれて良かった」「一緒に働けて嬉しい」と言っていただけることは、私にとって大きな糧になっています。
また、私にとって仕事は「人生を豊かにするもの」であり、その考えは正社員時代から変わっていません。しかし、パラレルワーカーとして働くようになってからは、よりそれを実感するようになりました。一社だけで働いていたら、またアパレル業界だけで働いていたら、きっと知りえなかっただろう気づきや学びが数え切れないほどありましたし、人との出会いも増え、視野が広がりました。
――企業から見た、パラレルワーカー受け入れのメリットはいかがでしょうか。
人手不足は多くの企業で課題となっているので、一人の人材を複数の企業でシェアできるパラレルワーカーの受け入れは、大きなメリットだと思います。
また、パラレルワーカーは各領域のプロフェッショナルも多いので、人材育成の観点でも価値発揮できると考えています。社内では一から教える余裕がなくても、パラレルワーカーという外部人材の手を借りることによって、補填できることも多いのではないでしょうか。
私もサマンサタバサでは、20歳くらい年下のスタッフに交渉の仕方や撮影のアレンジ方法をアドバイスすることもあります。こうした関わりがきっと育成の一助になるのだろうと感じています。
キャリアを考えることは、どう生きたいのかを知ること
――パラレルキャリアを歩み始めて4年が経ちます。振り返ってみていかがですか。
正社員時代も必死に成果をあげてきたつもりでしたが、同じ場所だけで働いていたら見えないものもたくさんあるのだと思い知らされました。一歩外に出てみたら、世界はずっと広かった。知らないことにばかり出会い驚いた一方で、40歳を過ぎても人は成長できるのだと思えた嬉しさもありましたね。
また、パラレルワーカーとして働き始めてから、複数の方に「人事が向いていると思うよ」と言われるようになりました。長らくブランディングやマーケティングの領域で経験を積んできて、それが天職だと思っていましたから、驚きを隠せませんでした。
しかしそれも、パラレルキャリアを選択し、役割が変化したからこそ気づけたこと。20年以上キャリアを積んできて、ここで新たな強みを発見するとは思わなかったので、本当に面白いなぁと思います。
――正社員時代と比べ、仕事観に変化はありましたか。
正社員時代は「なりたい自分像」がありませんでしたし、仕事に対して好き嫌いを考えたこともなく、ただ目の前のことに懸命に向き合い続けてきました。しかしもう十分に力はつけてきたと思うので、これからは培ってきたものを社会のために還元したいと考えています。
少しずつですが私の中に“will”が芽吹いてきていて、その一つが今まさにオイシックスやGOODNEWSで取り組んでいる、環境や食の未来に関する取り組みです。先日オイシックスで小学校に出向き、アップサイクルの授業を実施しました。子どもたちと一緒にフードロスについて話し合いながら、心から「これがやりたかった!」と思えて、本当に充実した瞬間でした。
一人の人間としても、子どもを育てる親としても、継続的に社会を良くしていきたい。その想いが働く源泉にもなっていると感じているので、ビジネスの力で社会課題を解決することに、力を尽くしていきたいですね。
――働き方が多様になった一方で、選択に悩む個人も多いと思います。納得のいくキャリアを選択するためには、何が大切だと考えますか。
私自身「こうなりたい」という目標を持たずに歩んできたので、今でも常に「これでいいのか」「今の仕事は向いているのか」と悩みながら仕事をしています。
そうしたなかでも「どう生きたいのか」を考えることは大切だと思います。私が「家族との時間を優先したい」という想いから正社員を卒業しパラレルワーカーに転向したように、どう生きたいのかを明確にできれば、自分が望む働き方も自然と見えてくるのではないでしょうか。
――世永さんのキャリアの歩み方に、ヒントを得る方も多そうです。
「なりたい自分像」がないまま、導かれるように辿り着いたパラレルキャリアですが、この経験を発信していくことは、一つの使命のようにも感じています。悩める次世代に向けて「こんな働き方や生き方もあるよ」というメッセージを伝えていけたら嬉しいですね。
取材後記
世永さんの経歴だけを見ると「キャリア志向の強い人」というイメージを持たれるかもしれません。しかし実際にお会いしてみると、その印象は良い意味で異なり、「導かれた」と話す姿は自然体。懸命に仕事に向き合い、キャリアに悩む多くのビジネスパーソンに重なるものがありました。
「なりたい自分像」を描けずにいたこと、それでも目の前の仕事に全力を尽くしてきたこと、家族への想い、パラレルワークを始めて気づいた世界の広さ。すべてを包み隠さずフラットに話してくださったからこそ、日本ではまだまだ少ない女性のパラレルキャリアも、少し身近に感じられたのではないでしょうか。
多様性の時代、働き方は人それぞれです。新たな働き方を、これからの選択肢に加えてみてはいかがでしょうか。
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