オーナーシップが持てる未来を。給与デジタル払いの解禁が、人とお金のあり方を変えていく
現在、日本政府はキャッシュレス化を大きく推進しています。生活の中でも、キャッシュレス決済サービスを見かける機会は増えているでしょう。
キャッシュレス決済が浸透し送金手段も多様化するなか、2023年4月より、給与デジタル払い(デジタル給与)が解禁されることをご存知でしょうか。給与は労働の対価であり、労働者の生活にとって重要なもの。これまで現金払いまたは銀行口座などへの振り込みが認められてきました。今回デジタル払いが可能になることで、労働者や企業にどのような影響があるでしょうか。
今回はデジタルウォレットアプリ「Kyash(キャッシュ)」を開発・提供する株式会社Kyashの代表取締役社長・鷹取さん(写真左)をお招きし、パーソルキャリア株式会社の鏑木さん(写真右)と共にお話しを伺いました。
第4の選択肢、給与デジタル払いが解禁
――日本のキャッシュレス化は、現在どのような状況でしょうか。
鷹取:日本のキャッシュレス施策は経済産業省を中心に大きな盛り上がりをみせています。日本政府はもともと「2025年6月までにキャッシュレス決済比率を4割程度とする」という目標を掲げており、2021年、早くも30%を超えました。支払いとしてのキャッシュレスは、順調に目標達成できそうだと思います。
鏑木:新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、非接触での決済ニーズは高まりましたよね。クレジットカードはもちろん、コード決済やプリペイド式、あと払いなど、種類も増えている印象です。
鷹取:当社でも「Kyash」という決済・送金・あと払いに対応したデジタルウォレットアプリを展開しており、アプリから発行できるVisaカードにチャージして利用するプリペイド式です。クレジットカードのように使いすぎる心配もないですし、利用履歴が自動でカテゴリーに振り分けられるため、お金の管理を簡便化したいと考える都市部の20~30代を中心に、支持されています。
現状「Kyash」は決済機能が中心であるものの、お金は“使う”だけではありません。我々は「新しいお金の文化を創る」というビジョン掲げていますので、ライフスタイルにおけるお金のあり方をより良くできるサービスに進化させたいと考えています。たとえば運用や貯蓄といった“増やす”機能、今回のテーマであるデジタル給与の受け取り口座としての機能追加も目指しています。
――給与のデジタル払い解禁によって、金融業界は転換期を迎えるといわれています。給与デジタル払いについて、改めて教えてください。
鷹取:賃金の支払いはこれまで、労働基準法によって現金または銀行口座・証券口座への振り込みに限定されてきました。2023年4月に改正法が施行され、銀行口座ではなく、指定を受けた一部の資金移動業者の口座に給与を振り込めるようになるというのが、給与デジタル払い解禁の概要です。資金移動業者は銀行以外で送金サービスができる登録事業者のこと。「○○ペイ」といえばイメージしやすいでしょうか。
賃金は従来、現金で全額払いが原則。1975年に銀行口座への振り込みが許容され大きな変革が起きました。その後1998年に証券総合口座が追加されたものの、抜本的な改正という意味では、約50年ぶりです。第4の選択肢の誕生は、金融界のみならず、さまざまな産業や個人の働き方にも大きな影響があるのではないかと感じています。
鏑木:我々は「HiPro(ハイプロ)」というプロフェッショナル人材の総合活用支援サービスを展開しています。業務委託契約を結び働く副業・兼業人材やフリーランス人材が受け取る報酬は、現在でもデジタル払いが可能でしたよね。しかし今回、給与も解禁されるとなると、より多くの人や企業が関係していきそうです。期待感が高まりますね。
毎日給料日の実現も? デジタル給与のメリットと障壁
――デジタル給与は、企業や従業員にとってどのようなメリットがあるでしょうか。
鷹取:企業側はコスト削減が見込めると予想されています。給与の支払いを目的とした資金移動業者の口座への送金手数料がいくらになるかは、まだ検討段階。しかし、一般的に資金移動業者の口座への振り込みは銀行口座への振り込みよりも安く設定されているので、振込手数料の削減というメリットが考えられるでしょう。
また、制度を企業が導入する際は、銀行を介して資金移動業者の口座に振り込む方法と、資金移動業者のシステムと直接連携させる方法があります。後者では、銀行振り込みと比べ、APIなどシステム連携の柔軟性が格段と上がります。
一日働けば月給の1/30の労働報酬が発生するはずなので、理論上は「毎日給料日」もあり得ますが、実際、給料日は月に一度が大半ですよね。なぜ毎日支払われないのかというと、システム上の困難があるためです。システム連携に利点を持つデジタル払いが進めば、将来的に支払い回数を増やし従業員満足度を高めたり、支払い業務を自動化して事務作業負担を軽減することも、現実味を帯びるのではないかと考えています。
鏑木:毎日給料日は考えたことがありませんでした。支払い頻度が上がることで、お金の管理やコントロールもしやすくなりそうです。
鷹取:「給与」ではなく「報酬」の例にはなりますが、フードデリバリー事業を展開するmenu株式会社様では、すでに即日支払いを実行しています。業務委託契約を締結した配達員に対して、最短当日の報酬振り込みを実現。加えて当社が展開する「Kyash法人送金サービス」を導入したことで、デジタルウォレットアプリ「Kyash」を通じて24時間365日いつでも報酬を受け取れるようにもなりました。
鏑木:業務委託だからこそ今回の解禁に先んじて実施できたのですね。反響はいかがですか。
鷹取:求人応募率に影響があったと伺っています。求人を出す際の優位性となるならば、戦略的にデジタル給与を導入する企業も出てきそうです。
鏑木:なるほど。人材確保が事業成長に直接影響しやすい業態とは相性が良さそうですね。
給与は労働に対する対価ですよね。給与がタイムリーに支払われることは、タイムリーに自分の働きや成果を評価してもらえることと同義だと思います。私たちがHiProサービスを提供するプロフェッショナル人材は「自分のスキルで企業や社会に貢献したい」と考える方が多い傾向にあります。素早く評価してもらえ貢献実感を得られやすい点では、プロフェッショナル人材にも魅力を感じていただけそうだと思いました。
そのほか、従業員にとってのメリットは何が考えられるでしょうか。
鷹取:プリペイド式の電子マネーは銀行口座やクレジットカードと紐づけて、都度チャージしなければなりません。デジタル給与が解禁されると、給与が直接チャージされるようになるので、定期的にチャージする手間を軽減できるメリットがあります。
鏑木:キャッシュレス化が進み現金を持ち歩かない人も増えていると聞くので、恩恵を受ける方は一定数いそうです。
導入に際し、障壁となるものはありますか。
鷹取:従業員側の障壁はあまりないと考えています。というのも、デジタル払いは解禁されますが、あくまで選択肢が増えるだけだからです。企業は従業員にデジタル払いを強要できませんし、メリットを感じなければ対応する義務もありません。
一方、企業側は労務担当者などの負担増加が障壁として考えられます。各企業において労使協定の締結は必須ですし、デジタル払いに対応したシステムに改修したり、オペレーションを見直さなければならないといった可能性があるためです。
鏑木:システム改修は長く時間がかかったり複雑だったりするものでしょうか。
鷹取:資金移動業者のシステムと直接連携させる場合、1か月程度が相場だと思います。銀行を介する場合はそれよりも負担が減るものの、手数料が銀行振り込みと変わらないなどメリットも減ります。事業規模によっても負担は異なるので、見合うメリットがあるかを検討する必要があるのではないでしょうか。
新しい在り方は、人々の意識や行動を変えていく
――給与デジタル払いの基礎を伺いました。鏑木さんはどのような印象を持ちましたか。
鏑木:企業が導入する際の一次的な負担はあれども、新しい選択肢が増えることはとてもポジティブですし、個人的にはかなり面白い制度だと思いながら話を伺いました。変化の幅が大きく、未来が生まれる楽しさがあります。
一方、浸透には時間がかかるように感じました。私たちはHiProを通して「外部人材活用が当たり前の社会」を目指していますが、まだまだ「雇用」という従来の選択肢しか持たない企業が大半であり、外部人材を積極的に使う企業は1割程度。デジタル給与も外部人材活用も新しい選択肢であり、企業への浸透が鍵という共通点があるかと思います。いかがでしょうか。
鷹取:消極的な企業があるのは否めない一方で、世の中の声によって止められない流れが生じてくるのではないかとも予想しています。
外部人材活用の領域では、副業やフリーランスという新たな選択肢が現れたことで、改めて正社員という働き方が問われるようになりましたよね。働く人々のなかには「正社員じゃなくても良いかも」と思った人もいて、実際に副業を始めたりフリーランスに転身した方もいたはずです。同じようにデジタル給与が登場することで「銀行振り込みって複雑だな」と思う人もいるでしょうし、キャッシュレス決済が普及するなか、デジタル給与に多くのメリットを感じる方も出てくると思います。
鏑木:新しい在り方が示されることで、従来の考えを見直したり、意識や行動を変える人々が出てくるということですね。
鷹取:はい。まずはそうしたさまざまな変化が湧き上がってくるものだと考えていて、変化は建設的な競争環境をつくり、おのずと企業の対応にも影響を与えていくと思います。最初から導入する企業は多くないかもしれませんが、世の中の変化に押される形で、徐々に浸透していくのではないでしょうか。
鏑木:海外はいかがでしょうか。進んでいる国はありますか。
鷹取:アメリカではすでに給与デジタル払いが導入されており、企業が労働者に給料を支払う目的で提供するプリペイドカード「ペイロールカード」を活用したデジタル給与が広がっています。そもそもアメリカでは、月に一回以上の給料支払いが一般的。約9割の企業が2週間に一度以上の頻度で給与を支払っているという調査結果(米国における給与の支払い頻度)もあるようです。
鏑木:2週に一度以上の企業がそれほどあるとは驚きです。日本はまだまだこれからですね。
鷹取:金融サービスでいうと、最近は投資も身近なものになりました。運用は珍しくありませんし、運用の世界では今日の1円と明日の1円は価値が異なります。こうした概念は今後の給与の面でも当てはまるのではないでしょうか。私たちは、給与の受け取り方や受け取ったお金をどう活かしていくかにもっと興味関心を持つべきだと思います。今回の給与デジタル払いの解禁がそのきっかけになってほしいと期待しています。
鏑木:選択肢が増えるだけでも十分ポジティブな出来事ですが、さらに人々のお金への意識をも変える可能性を秘めている。まさに転換期、大きな一歩になりそうです。
お金もキャリアも働き方も、オーナーシップを持てる社会に
――給与デジタル払いが浸透した未来。さまざまな変化が起きそうです。
鏑木:我々パーソルキャリアは、“人々に「はたらく」を自分のものにする力を”というミッションを掲げており、より多くの方が、キャリアオーナーシップを持てる社会の実現を目指しています。
給与は働いた対価として支払われるものですから、お金とキャリアは切っても切れない間柄であると思います。キャリアを自分で決めてつかみ取れる自由があったとしても、もし給与や報酬のあり方が古いままだとしたら、非常にアンマッチではないでしょうか。
働き方やキャリアに合わせて、都度最適な給与・報酬の受け取り方を自分で決められる。そのような社会を実現させる一歩が給与デジタル払いの解禁だと思います。ぜひ浸透して当たり前になってほしいですし、そうなった先には、人々の働き方やキャリア選択もより自由に解放されていくのではないかと思いました。
鷹取:鏑木さんのおっしゃる“オーナーシップ”という言葉は我々も強く共感するところであり、お金や金融サービスにおいて、利用者である人々に主導権を取り戻していきたいという想いがあります。
お金は便利に使えるようになったと見えて、まだまだ利用者である私たちが振り回されていることも少なくありません。たとえばクレジットカードを紛失した際、自分で利用停止できませんよね。大事な資産を一刻も早く守りたいのに、コールセンターになかなか電話がつながらないなんてことも。そのようなサービス提供者主導の体制を変えたいと、「Kyash」では手元のアプリで即座に利用停止できる仕組みを搭載しました。
デジタル給与が広まり選択肢が増えることも、人々がお金に対してオーナーシップを持てているという実感をもたらすでしょう。「Kyash」ではデジタル給与の受け皿として機能することを起点としながらも、長期的に機能を拡充し、人々の暮らしに貢献していきたいです。
鏑木:とても楽しみです。新しいマーケットを率いる者同士、多様でより素晴らしい社会を目指していきたいですね。
取材後記
2023年4月から給与デジタル払いが解禁され、資金移動業者がデジタル給与を取り扱うための申請受付・審査が始まりました。その審査には数か月かかると見込まれており、また各企業では労使協定の締結が必須のため、資金移動業者口座で賃金を受け取れるようになるのはまだ少し先になりそうです。
しかしながら、デジタル給与がこれまでの当たり前を見直すきっかけをつくり、未来を変えていくのは間違いないでしょう。人とお金の在り方や働き方・キャリアの選択を、より良くアップデートしてくれることを期待したいです。
and HiPro(アンドハイプロ)は、「『はたらく』選択肢を増やし、多様な社会を目指す」メディアです。雇用によらないはたらき方、外部人材活用を実践している個人・企業のインタビューや、対談コンテンツなどを通じて、個人・企業が一歩踏み出すきっかけとなる情報を発信してまいります。
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